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「復興」という言葉。そこから自分のスタンスを考える

どうも、漁師で似顔絵の阿部です。

 

 

さて、年も変わり心機一転。

 

ということで、今まであまり向き合ってこなかった、

「復興」という言葉について考えてみようと思います。

 

以前書いた記事、

言葉にする大切さ、感覚や考えを受け止めるうえでの役割

の中で言葉の難しさについて書きました。

 

そこで特に難しい、と思った言葉が復興です。

 

 

取材などを受けると、

「復興のために頑張っているんですか?」

と言うような聞かれ方をたまにするのですが、

とっさに言葉が出てこない自分がいます。

 

そういえば、

自ら使ったことも無いかも。

 

なぜでしょう?

 

 

復興という言葉、なぜ難しい


私の活動、

漁師をしながら似顔絵、絵を描く。

これ自体は震災がきっかけです。

 

絵を辞め、実家の漁業を継ぐ。

そう思って南三陸町に帰ってきました。

 

そこで東日本大震災にあい、

何も無い中から自分にできることを探し、

 

「やっぱり絵だ!」

と、始めたのが似顔絵でした。

 

震災から、

いい状況へ向かうために「自分が出来ることをやろう」

 

 

 

こうして振り返ると、

復興のためと言えますが、

どうも躊躇してしまいます。

 

「復興」という言葉があまりにもいろんな意味を持ちすぎて、

自分の出発点や目指すものがぼやけてしまいそうな気がするんですよね。

 

そして「復興」という言葉が利用される場面も増えたな〜、

というのもありますし(復興五輪とか)

 

「そういうのに一緒くたにされたく無いな」

という気持ちもあり(ちょっと生意気ですけど)

 

 

でも、その「復興」という言葉に助けられて

ここまでの生活を取り戻せてきているのですけどね。

ほんと生意気言ってすいません。

 

 

あとこれは自分の偏った捉え方かもしれませんが、

「復興」という言葉には震災前の状態を目指さないといけない、

という意味が含まれている気がして、

 

そこが窮屈に感じてしまうんですよね。

 

 

今の状況からどう良くしていくか、

が重要だと思うので、

 

震災前を目指す、

となるとちょっと意味が違ってくるのかなと。

 

 

 

復興に向けて自分のスタンスをもつ


あまりにも色々な意味を持ってきてしまった復興という言葉。

 

復興というくくりから、

自分というか個人として抜け出すことを考えるべきなのかな?

 

私としては、

いつまでも「復興」がクローズアップされるようでは、

いけないのでは、と思っています。

 

時間が経つにつれ、

復興という意識は薄れてきます。

 

いつまでも復興ありきだと、

尻すぼみかなと。

 

震災からの復興として始まったものも、

それぞれの意味や目的を持ってこないと

良いものは生まれてこないような気がしています。

 

 

ということで、

自分の活動への意味というか姿勢、スタンスを少し明確にしようかな。

 

 

思い返せば、

私がモチーフとして描く「南三陸町の風景」

 

これは震災の前、後、関係なく、

南三陸町の美しいものや面白いものを、

私の視点で切り取ったものです。

 

震災や復興というものに、

あまり焦点を当てたくなかったんですね。

 

「自然とあるものや、普段の生活の中にも

魅力的なものはたくさんある」

 

そういう視点が私の中にあったんです。

 

そして、それはたぶん、

その土地で生活してる、してきた人じゃないと、

気づけないし、表現できない部分なのではないか!

 

と、当時は考えませんでしたが、

今になって思います。

 

このスタンス、自分にはあってるし、

発信していく価値があるのでは、

と感じる今日この頃です。

 

 

まとめ


私なりに復興について書いてみました。

 

たぶん、

私以外にも一人一人にあると思います。

 

 

復興のため、なのかはわかりませんが、

 

自分なりに

これからも絵や、このブログのように文章などでも、

発信していけたらな〜と思っています。

 

ってことで本年も、

というかこれからもよろしくお願いします。

 

 

それでは今日はこの辺で。