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東日本大震災から10年。【南三陸町の風景】の絵を描く意味を改めて考える

10年の節目


 

10年経つんですね。月並みですが、あっという間!もうそんなに、という感じです。

 

その中で描き始めた南三陸町の風景。

節目の年なので私の中でもう一度、具体的に言葉にして意味を考えてみたいと思います。

 

 

初めは直感


 

南三陸町の風景を描き始めたきっかけは、直感というか、理屈ではなくて自分の中から出てきた「描きたい!」という衝動がもとだった気がします。

 

その前に始めていた似顔絵は、何かしなければという気持ちから自分にできることはなんだ?絵を描くことなら私にも、そしてみんなに喜んでもらえそうなことは?

などいろいろ考えた上で似顔絵で描くのがいいのではと始まりました。

 

そこから描きたい衝動が強くなっていき、身近にあってモチーフとして興味深いものとして目に入ったのがホタテの貝殻でした。

 

漁師町の漁港ではわりと珍しくなく、私が子供の頃なんかはその辺に転がっていました。貝の表面には海中でついた付着物が乾燥してザラザラになり、その表情がとても興味深く感じて「これ描きたい!」とモチーフに選んだのでした。

 

そこから南三陸町の風景シリーズの始まりです。

 

描き続けている意味


 

その後、少しづつですが自分が興味を持ったもの、心が動いたものをモチーフに描いていきました。

 

朝焼けや船、メカブやウミネコなど。

特に意識したわけではなかったと思うのですが、海に関係したものがモチーフに。

 

まあそりゃそうです。日常、目に留まるものを描いたら海で仕事をしているのですからそうなりますよね。

 

でも、私にとっては日常でも一般的には違うはず。普段から海に出る生活をしている人は少ないし、それも観光ではなく生業としてです。

 

その視点って貴重で面白いものになるような予感。そして楽しくなりそうな気配。もうちょっとそこを意識して生活の中で物事を見てみようかな、と思ったのでした。

 

私の視点を伝える


 

私が面白い、魅力的に感じた風景。南三陸町で漁師として普段から目に入ってくる景色。

 

それを絵に描いて伝えることが出来れば南三陸町や海の仕事に興味を持ってもらうきっかけになるのではないか。

 

だんだんそんなことを思うようになりました。

 

 

生まれた迷い


 

でも、南三陸町や海をモチーフとして意識するうちに迷いも生まれてきました。

 

海の風景や魚介類を描いていると、もっと色々な魚、ヒラメやアイナメや鱈など南三陸町で捕れる魚介類を描いた方がいいのではないか?という気持ちです。

 

しかし、我が家は養殖がメインで魚を捕ったりはほとんどしません。私自身も元々が家で絵を描くのが好きなインドア派。荒波に揉まれ魚を捕りまくるようなのは性に合いません。

 

でも、モチーフのためにやった方がいいのかな?と思ったりもしたのですが、なんか本末転倒な気がして。

 

私の日常の視点、のはずなのに世間の漁師のイメージに引っ張られてる感じがしたんですね。

 

それで無理に漁師らしいことをして漁師らしいモチーフを描くことはなんか違うなと。

 

そこで改めて海を生業としている日常で見える、私なりの面白いものを意識して生まれたのが海藻シリーズです。

 

迷いから抜け出したら、自分なりの視点「テーマ」というと大袈裟な気もしますが、それが少し見えてきた感じがしました。

 

まとめ


 

東日本大震災で知られることになった南三陸町。震災から復興、でも、それ以前からあるもの。そして今後も続いて淡々とそこにある魅力的で面白い存在。

 

私の視点、私の絵を通してそれらを伝えていけたらなと思っています。

 

それでは今日はこの辺で!

 

 

 

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